人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

時が経つのは早い

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近頃の子供たちはどういう遊びをしているのか知らない。自分には子供がいないし、子供と関わる機会もないため情報も入ってこない。
私が小学校に入学する頃(30年位前)に親からファミリーコンピューターファミコン)を買ってもらって大喜びした思い出がある。
その当時ファミコンで遊ぶのが多くの子供たちにとって定番中の定番だったからである。

ファミコンを買ってもらった時に父親とゲームショップみたいなところに行って2つのソフト(当時はカセットと呼んでいた)を買ってもらった。1つはロックマン、もう一つはスーパーマリオブラザーズである。2つとも当時は大人気のファミコンカセットであった。

今の若者はスーパーマリオブラザーズスーマリ)でマリオがキノコをゲットしてスーパーマリオになり無敵状態になってBダッシュしながら並みいるクリボー達を吹っ飛ばす快感をしらないんだろうな。そして、ファイアマリオになってファイアボールを投げまくってクリボ達を倒しまくる楽しさを知らないんだろうなあと思う。

そもそも、Bダッシュすら知らないことだろう。私と同世代で普通にファミコンで遊んでいた人なら100%Bダッシュを知っていると思うのだが。ゴール前になってBダッシュジャンプしてお城の前にある旗に飛びついてクリアできた時のあの快感を知らないんだろうなあと思う。世代が違うとは恐ろしいことだ。

それに、ロックマンというゲームも知らない子供が多いだろう。私は初代のロックマンゲームに結構はまっていた思い出があるがとにかくめちゃくちゃクリアするのが難しい印象があった。難しすぎてなかなかクリアできないのである。これは、私と同世代なら知っている人も多いだろう。

小学校低学年くらいまでは近所の女の子の家に遊びに行って二人で一緒にファミコンで遊んでいた記憶があるのに・・今考えればこれは立派なデートである。大人になってこんなことをしていたら完全に恋人か友達以上恋人未満の関係である。当時は別に気にならなかったが女の子の家で二人でファミコンで遊ぶなんてめっちゃロマンチックである。あの頃が懐かしい。

私が好きだったファミコンソフトはミニ四駆だった。ミニ四駆ゲームは数人で対戦できるのが良かった。自分のミニ四駆を改造して早くしていくことができるゲームなのである。よく友達の家にみんなで集まってミニ四駆の対戦をしていたなあと思う。リアルのミニ四駆で遊んだ思い出もあるし、ファミコンミニ四駆でも遊んでいた。

っていうか、今思うとそんな時代があったことすら信じられない。あの頃、一日や一か月や一年が経つのがとても長く感じられいつまでも子供のままで遊んでいると思っていたのにいつの間にやらもう中年に差し掛かり毎日「つまらない」と嘆きながらいやいや仕事にいっている自分がいる。子供時代とは何だったのだろう??いまだにわからない。

そして、ゲームボーイでもよく遊んでいた。今の子供たちはゲームボーイも知らないのだろう。我々の小学生の頃の流行といえばゲームボーイであり、秘かに学校に持ってきて休み時間に遊んでいた思い出がある。画面が白黒でやたらにみにくいのだが暇つぶしに重宝した。ゲームボーイでよく遊んでいたのはプロレスゲームである。なんであんなにプロレスゲームにはまっていたのかいまだによくわからない。

ドラクエ3(ドラゴンクエスト3)なんかにもはまっていたし、小学校中学年から高学年になるとスーパーファミコンで出てきてそっちに人気が移ってきたのだが自分はスーファミを持っていなかったので友達の家でよくやらせてもらっていた。スーファミと言えばストリートファイター2(スト2)のイメージしかない。これまたみんなで集まって対戦しあうのである。しかし、小学校高学年くらいになるともうスポーツクラブの練習なんかに精を出すようになっていたので徐々にゲームから離れていった気がする。中学校くらいになると私はほとんどゲーム機で遊ばなくなった。割とゲームからの卒業は早いほうかもしれない。

そして、社会に出て10数年経つ今の最大のゲームは海外一人旅である。これはもう社会に出てからずっと変わらない史上最大の楽しみであり、喜びである。私はアニメや漫画や小説やゲームなどの仮想世界で楽しみを見出すことができないタイプの人間である。基本的にゲームと呼ばれるものはすべて苦手だ。オセロも将棋も五目並べもウノもマージャンも何もかも。ゲームを楽しめるような身体ではないらしい。それよりも外に出て外界の刺激を受けて何かしらを肌で感じていくタイプの遊びが好きである。

私は過去というものが信じられない。過去の自分と今の自分が明らかに断絶している気がしてくるのである。過去の自分はどこにいたのか?いったいどこで何をやっていたのか?今となってはほとんど思い出せない。まるで消え行く泡のような存在である。あと数年もすれば今こうしている自分も全く思い出せなくなるのだろう。そして、それが人生というものなのだろう。