人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

ドラッグストア

f:id:ericrun:20190116072907p:plain

最近は都市部でも地方でもドラッグストアが非常に増えて便利になったもんだ。ドラッグストアはスーパー代わりに食料品や日用品を安く買えるから助かる。スーパーがなくてもドラッグストアがあればとりあえず何とかなるのはありがたい。

以前とあるショッピングモールの中に入っていたドラッグストアの中にいたこさんみたいな女性が働いていた。その女性見るからにド迫力。髪型と顔を見ればただものじゃない雰囲気。年齢は50代後半から60代くらいだろうか?

その人にレジをしてもらうとなんだかとても怖いというか気味が悪い。なんだか頭が回り過ぎているのだ。いわゆる頭の回転が早いとか遅いとかいうくくりには入れにくい。頭がよく回っている。頭の回転が早いというと世間一般では良い意味で使われることが多いのではないだろうか。

そこには相手の気持ちを察して適度な量に調節したサービスを素早く提供できるという意味合いも少し含まれているように思う。しかし、そのいたこさんみたいな女性は相手の気持ちなんかはるかに超越して自分1人だけの世界で完結していた。頭がよく回り、くるくるとしていた。なんだかその人を見るたびになるべく近づかないように、レジで当たらないように自然と避けてしまっていたし、なるべくそこのドラッグストアにはいかないように注意していた。

そのくらいド迫力があって薄気味の悪い感じだった。そして、そのドラッグストアは潰れ私は安堵していたのだが、最近自宅から近くのよく行くドラッグストアで働いているのを見たのである。その女性はドラッグストアが好きなんだろうと思う。でも、嬉しかったところはその人がまだレジまでやっていなかったことだ。品出しだけをしてくれているのであれば全然いい。

品出しだけであれば無害なのだ。レジで1対1の局面になるとかなりきついのが事実である。思うにレジの人なんて透明人間になってくれてさえいればいい。無駄に相手のことを気遣って色々聞いてきたり、確認してきたり、笑顔で接客してきたり、ありがとうございますを何度も言ったりする必要はない。

私は将来的にレジから人がいなくなるだろうと思っている。自分でレジをやればいいのだ。最近はセルフレジが増えてきたのは良いことだ。そのほうがずっと気楽だし楽しい。そういえば、近くにあるカフェ店員さんの中にやたらと大きな声で不自然な笑顔で接客している店員さんがいるのだが大迷惑である。

こちらは静かに読書をしていたいのにその店員さんが店内に響き渡る超デカイ声で接客したり、客がいないときは「〇〇はいかがでしょうか?」などと声を張り上げたりしているためうるさくてたまらない。そこのカフェの店員さんはそのうるさい店員さんがいるときはみんな恐縮してしまって居場所がない感じになっている。私はあまり頑張る人間が好きではないのだ。

頑張るというのは見えないように、わからないようにやるからこそ価値があるのであってそれを「私は頑張ってます」的なアピール感とともに表に出した瞬間にウザイものになる可能性がある。それくらいなら逆に無気力でやる気がなさそうな感じの人のほうが私は好感が持てる。

まあ、そうはいっても日本はいい国だと思う。なんだかんだ言ってどんな人でもアルバイトやパートならどこかしらのお店や事業所が雇ってくれる器の広さがあるからだ。私も大学時代さんざんお店に迷惑をかけたけどなんとか置いてもらっていた。私はくず野郎だったのでお店の側も大変だったと思うからお店には感謝している。そういう器の広さは社会に必要である。

ということで、私も明日からいたこさんになって神を降臨させるように頑張ろう。