職場っていろんな人がいるけど、一番困るのは無駄なルールを作って皆を縛り、生産性とモチベーションを下げる人である。
生産性って何なのか?それは、一言で言えば皆が楽をできる状態にすることである。
今までやってきた非効率的なことをやめて簡単にするシステムを作ったり、機械を導入して人為作業を減らすことなどがそれに含まれる。
だからこそコンビニでのスマホ決済や電車の改札でのスイカやパスモなど交通系電子マネーの普及は生産性を高めたのである。
ところが、職場には無駄な仕事にしがみついて自分が頑張ったアピールをしたくてたまらない人がいる。
それはそれで一向に構わない。勝手にやってくれと思う。ただし、そういう人が大問題なのは自分のやっている非効率無駄ルールをなぜか職場全員に強制させようとすることである。
なぜならそれはその人にとって職場を自由に操っているという快感や俺が職場の中心だぜ、イエーイみたいな満足感を得られるからである。
私はこういう生産性の低い頑張り屋さん達と真正面から対峙して戦ってきたが最近は戦い方を変えることにした。
人間というものは往々にして自分の感情どおりに動くと物事が思う通りにいかないものである。
バカに真正面から戦いを挑んで成功することなどない。バカはバカゆえに自分のしているバカ仕事のアホさ加減を理解していない。
だからこそ、もしも私が『こいつはホームラン級のバカ』だなと思ったら逆にその人を誉めちぎるのである。
『凄いですね~』『めっちゃ頑張ってますね~』とかなんでもいいけどとにかく職場の生産性が下がるバカ仕事に対して感情的報酬を与えるのである。
そうすれば、その人が決めたルールに1人だけ従わなくてもある程度許してくれる雰囲気にはなる。そうやって戦っていく方が楽だ。
人は誰だって自分のしていることを認められ、評価されたい生き物である。人間には承認欲求というものがある。私にもあなたにもある。しかし、それが病的に肥大しすぎた人間もいる。
そうした人に真正面から掴みかかったところで意味がない。逆に承認することでその人を満たすしかない。
私は戦い方を変えたのである。バカな仕事をした人ほどそのバカ仕事に対してほめそやし、持ち上げるのだ。もちろん、同じように無駄を省いて生産性を上げてくれるような良い仕事をした人もたくさん誉めるのだが。
世の中には『私は私、人は人』という当たり前のことを理解できず、『自分が絶対に正しいのだからみんなこれをやれ』と超絶変なことを強制する頭の悪い人は実際にたくさんいるのである。
そうした人達の心を理解してあげ、承認欲求を満たしながら自分は真逆のことをするしか自分らしく生きる術はないと私は最近思っている。