私はエゴが深い人間である。とりわけ他人に対してエゴが深い人間だと思う。
とりわけ、私は嫌いな人間、気に食わない人間と付き合いたくない、関わりたくないという欲求が誰よりも強いタイプだ。
好きな人と関わりたいという欲求もそれなりに強いがそれ以上に嫌なやつとは徹底的に距離をとりたい、縁を切りたいという欲求が強いタイプである。
私が最も嫌いな人間・・それは自己愛性パーソナリティタイプの人間である。
自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英: Narcissistic personality disorder ; NPD)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である[1]
ちなみに、私の職場にも一人このタイプがいる。以前の職場のお局女性も完全にこのタイプだった。
自己愛性パーソナリティ障害の症状
人より優れていると信じている
権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
業績や才能を誇張する
絶え間ない賛美と称賛を期待する
自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
人の感情や感覚を認識しそこなう
人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
人を利用する
劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
嫉妬されていると思い込む
他人を嫉妬する
多くの人間関係においてトラブルが見られる
非現実的な目標を定める
容易に傷つき、拒否されたと感じる
脆く崩れやすい自尊心を抱えている
感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える
驚くべきことに職場の嫌いな奴の性格は上記の自己愛性パーソナリティ障害の特徴に完全に一致するのだ。それはもう見事なほどの一致であり、拍手喝采ものだ。
しかし、本人にこれを突き付けても絶対に認めずキレまくることだろう。彼らは他人を支配し、他人に要求し、他人を貶め、利用することに長けている一方で自己を内省する能力に極端に欠けるからだ。
彼ら(自己愛性パーソナリティ障害の人々)は自分が大好きである。そして、自分はいつも絶対であり、他人は自分に従うべきであると考えている。他人は他人、自分は自分という価値観を受け入れることができず、いつもいつも自分に従わない他人にイラつき、支配しようと試みる。
彼らの精神年齢は中学生にも満たない。大きな身体をしたいい年こいた子供である。
しかし、恐るべきことにそういう自己愛性パーソナリティ障害の輩が結婚していたり、子供がいたりすることも多いのだ。なんで、こんな人が??どこに魅力が??と思うけれど他人に遠慮しないでズカズカと他人の心に土足で踏み込むことができるからこそ意外とそれに応じる人(支配される人)ができるのかもしれない。
そして、自己愛性パーソナリティ障害のもう一つの大きな特徴はお金にルーズなところだ。今の職場の輩もそうで金にルーズである。金に執着していないとか無頓着とか金に興味がないとかそういうレベルの話では全くない。
彼らは見栄っ張りで自分を飾ったり大きく見せるのが大好きである。だから普通の人なら理性で我慢できるところに大げさに金を遣ってしまいいつも金がなくて「金がない」と言い、借りた金を返さなかったり、人に金をせびったり、人におごらせようと画策したり、どうでもいいところにケチケチしていたりするのだ。
そういうルーズなところにも腹が立つ。そのくせ、仕事における無駄なこだわりやプライドが高くガンとして自分を曲げなかったり、マイルールを押し付けてきたり、支配しようとしてきたり、支配に屈しない人に嫌がらせをしたりするのである。そんなにきっちりマイルールを徹底できるのなら金だってちゃんと管理しろよと思う。
簡単に言うと矛盾しまくっているのだ。私は見栄っ張りだったり、自分を必要以上に大きく見せようとする輩が大嫌いである。たいしたことないのに偉そうにしたり、上から目線でものを言ってくる奴が大嫌いであり、そういう輩には殺意を覚えるのだ。
まあ、自分に限らず世のほとんどの人間は自己愛性人格障害の典型的なタイプに出会うと殺意を覚えることがあると思う。それだけ彼らはジコチューなのだ。
私は以前の職場にいたお局女性が大嫌いであり、縁を切ることができて本当に良かったと心の底から思っている。そして、今の職場にいる同類とも縁を切りたいと思っている。できるだけ離れていたいし、顔を見たくないし、話しもしたくない。
それなのに奴らは自分から近づいてきてはこちらを支配し、意のままに操ろうと画策し、ウザイ態度で絡んでくる。それをするから嫌われるのに、そういう態度をするから人が去っていくのに全然自分というものを見ていないのである。
ああー、だるい。自己愛性パーソナリティ障害とは人格障害である。病気ではないが、確実に他人の心を蝕むエナジーヴァンパイアだ。彼らにエネルギーを吸い取られないよう気を付けて歩んでいこう。