自己愛性人格障害の輩は情報収集に余念がない。
それは他人より情報を多く持つことで他人より優位に立つことができると思っているからだ。
奴らは基本的に他人の話しを聞かないし、聞けない。コミュニケーションとは自らのことをひたすら話し、相手に凄いと思わせることだと思っている。
ただの話し好きとは全然違う。ただの話し好きは可愛らしさがあるものだ。自己愛の話しは必ずマウンティングや他者への嫌らしい愚痴が入るのでエネルギーを吸い取られる感覚を伴う。
まあ、このブログも自己愛に対しての愚痴なのだが。
私はドSなので自己愛性人格障害者に己のクズっぷりをなんとかしてわからせたいのだ。
奴らは自分を客観視できないからいつも一方通行。しかし、私も悪趣味だ。こういう不毛なことをして楽しんでいるなんて、よっぽどの悪趣味だと思う。
職場の自己愛がこのブログを読んでいる可能性があるのであえて書いている。
さて、自己愛は情報収集に余念がないのだが、彼らは他人から新しいことを聞いたり教えてもらったりすることが苦手だ。
それは他者が自分より優位に立つことを意味するから。だから、彼らと話していてなにか知らないことに話が及ぶと彼らはほぼ確実に知ったかぶりをするか、話しを変えようとするか、興味のないフリをする。
これは前の職場のお局自己愛も今の職場の自己愛も全く同じ。彼らは自分が他人より少しでも知らないことがあることに耐えられないのである。
ココが馬鹿なんだよな。ソクラテスの無知の知じゃないけど、人間なんて所詮何も知らないんだよ。
それと人間力とは知識の多寡で決まるものではない。一言で言うと器の深さで決まるものだ。
器が深い人間に人は魅力を感じるし、尊敬するし、ついていきたくなるものだ。奴らは誰よりも他人からの称賛を浴びたがっているのだが、なぜか小手先の技術や知識に走り優位に立とうとして嫌われてしまう。
自分が知らないことを聞いてあー、そうなんですか。それは知らなかったです。今度試してみます。くらいのことを言う器がないのに他人を支配しようする輩に尊敬が集まるはずがない。
それにしても他人の愚痴をネット空間にぶっ放すってなんで、こんなに気持ちいいんだろう。職場の自己愛がこれを見てこのヤローって思ってくれたらサイコーだぜ。なんて悪い奴なんだ、私は。なんだこの世界を支配している錯覚や高揚感は?
人に愛される人、嫌われる人にはテンプレートがある。自分の器に合った生き方をしていればいいのだ。嫌われるタイプが好かれキャラを狙っていっても気持ち悪いだけなのだ。
60代の熟女がめちゃくちゃ無理して若作りしているような異様さである。
自己愛諸君よ、君は嫌われている。人としての器も小さい。大きく見せようとするな。バレバレだよ。