昨夜は職場の仲が良い人と3人で食事会 IN サイゼリヤ。
やはり、気が合う人と話すと気持ちが楽である。
みんなよく他人を観察しているなあと関心する。
人間って不思議な能力を持っていて他人の行動の奥にある心の動きみたいなものまでよくわかったりするのだ。
その人は善意があってそうしているのか?義務感からそうしているのか?自己の虚栄心を満たすために親切にしているのか?自分の評価を上げるためにその仕事をしているのか?かっこつけて言っている言葉なのか?マウンティングから出た言葉なのか?
すべてわかってしまうのである。
だからこそある程度人を見る目を培った人同士で話をすれば他人の評価がほぼ一致するのだ。
そして、最終的には人間性で勝負が決まる。自分のことしか考えていないジコチュウーな人からは距離を置きたいし、評価をしたくもないという気持ちを抱くのが人間である。
発達障害の一種であるアスペルガー症候群と自己愛性人格障害において一致点をあげるとすれば共感性の欠如である。
しかし、この両者をわける大きな違いはその出どころである。
アスペルガーの場合、一般的に空気を読むことが苦手で、共感の気持ちがよくわからないという形であり純粋さを感じるから憎めない。
一方で自己愛性人格障害の場合明らかに共感の気持ちを理解していながらわざと共感しないという底意地の悪さがあって可愛げがない。
アスペルガーの人の共感性の欠如は可愛げがあるが自己愛の場合は全く可愛げがなく嫌らしい。
こういうことまでだいたいの人間は理解できてしまうところが面白い。話していてなんかむかつく人っているものだが、そういう人はわざと他人に共感していない場合が多い。
人間は純粋な気持ちからした行動に対して憎めないようにできているものだ。
人間はみな可愛いものが好きだ。底意地が悪いものが嫌いだ。その一点から考えてみても自己愛性人格障害が嫌われてしまうのは致し方がない。
しかし、彼らは大変に興味深い対象として私の目に映る。なんであそこまで自分を世界の中心として君臨させたがるのか?そこまで偉大な存在として自分を認識してしまう精神構造に興味がある。
彼らの傲慢さに日々悩まされている身として彼らを研究してみたい衝動にかられる。
彼らは不死身である。どんなことがあっても彼らはへこたれない。
王様は裸と叫んでみても動じないことだろう。