人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

うーーん、海外行きたい。

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つい2週間程前までフィリピンにいたというのにすでに海外に行きたくてたまらない。

刺激がほしい。

海外のビーチで泳ぎたい。

海外のスケベちゃん達を観察したい。

治安の悪いところで身の危険を感じる経験をしたい。

海外に行くと私の脳内でドーパミンがドバドバ出て、脳内が凄くリラックスし、快感を感じられるのだ。

日本にいると確かに安心はできるし、快適なのだが、逆にそれが凄くつまらない。

なんだか日本にいる時はいつも落ち着かない。ここにいるべきじゃない。という気持ちになる。

早く海外に出たい。

でもなんだかんだ言って次に行くのは半年後くらいだ。

そうやって我慢しているからこそ海外での旅もまた密度の濃いものになる。

半年先まで生きているかは正直わからないし、いつ死んでもいいのだが、生きていたなら確実にまた海外に出たいと思う。

私にとって海外一人旅は脳内麻薬である。

ドーパミンセロトニンが脳内にたくさん出て、心地いい。

ゾーンに入ることができる。ゾーンに入れるというのは脳内がリラックスした状態で集中できる状態であり、例えばyou tubeなどで音楽を聴いていても心から楽しむことができる。

日本にいると気が散ってしまってあまり楽しめないのだが、海外に行くとゾーンに入りやすくなるのでyou tube動画を見ていても凄く集中できる。

たったこれだけなのに凄くありがたいことだ。

本当に海外は楽しい。日本の当たり前であることが当たり前じゃないことに感動する。

ホテルやゲストハウスの部屋の中にヤモリやゴキブリがいることですらなんだか新鮮だ。

日本のホテルに泊まってゴキブリに遭遇する確率はめちゃくちゃ低いがフィリピンの安いホテルならごく当たり前にいる。

それを踏み潰した時の安心感たるや半端ない。

タイやベトナムの安宿ならゴキブリはあまりいながいヤモリは普通にいる。

特に洗面所付近にはヤモリちゃんが生息しているのは日常茶飯事である。

これもまた楽しいことだ。

そして、鬼のように水圧が弱くてちょろちょろとしかでないシャワーでお湯を浴びながら身体を洗ったり、頭を洗うことのできるありがたみに感謝するのだ。

日本で当たり前のように強い水圧でジャブジャブシャワーを浴びるのとはまた全然別のありがたみを感じられる。

テレビをつければ当たり前のようにタイ語ベトナム語タガログ語が聞こえてくる。

そこには日本人などまず登場しない。現地の人達ばかりだ。

それもまた新鮮である。なんだ、日本人は日本で起きていることをニュースやテレビを通して毎日当たり前に見聞きしているけれど一歩国外に出ればそんなことはないのだと気付く。

それに、日本のウザイ気候からも脱出できる。

私は四季が嫌いである。

とりわけ寒い冬が大嫌いだ。だから常夏の国に凄く憧れる。

1年中暖かいってなんと素晴らしいことなのだ。

ゴキブリなどの虫は多いがそれ以上に1年中半袖半ズボンで外を歩ける方がずっとずっと素晴らしいことだと思う。

ギラギラと照り付ける太陽を浴びながらビーチで1年中泳げるなんて最高ではないか。

それ以上の幸せはなくねえ?って思う。

だからヨーロッパとかアメリカとかは正直どうでもいいのだ。

中南米や東南アジアが最高である。

なんか冬って好きになれない。太陽光があまり出ないのが嫌だ。

こういう人は日本人で少数派なのは知っている。

日本人はみな暑がりで、夏よりも冬が好きな人が多くて、おまけに四季が好きなのだ。

私は四季が嫌いだ。そんなものはいらない。

常夏プラス乾季と雨季の2シーズンでいい。

日本人は日本に生まれてきて幸せだと思っている人が多いけれど、私は決してそうではないと思う。

やはり、それぞれの国や地域でそれぞれの良さがあるものだ。

日本は日本で確かに良いが、決して良いことばかりじゃないと思う。

最近は日本人もだいぶ賢くなってきて個人主義の傾向が強くなってきた。

周りの目を気にしてそれに同調して無難に生きようとする人ばかりではなくなってきた。

多様な個性が認められるようになってきた。

これを私は歓迎したい。

誰が何と言おうが自分がそう信じるのならそう生きていいのだ。好きに生きて好きに死んでいいのだ。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいいのだ。

私はマスクが大嫌いだし、マスクの効用というものをまったく信用していないのでマスクをつけない。

ところが職場では感染症対策にマスクをつけましょう的なことを叫び同調圧力をかけてくる馬鹿がいる。

私は直接的に彼らからマスクをつけてほしいと言われたことはないが、もし仮にそういわれたら確実にはっきりとこう言い返すだろう。

私は絶対にマスクはつけません。マスクが昔から大嫌いだし、効果がないどころか感染症をさらに蔓延することになって逆効果になると思うからです。
もし仮にそれでもあなたが私にそれを強制する権利があるのならば、私は遠慮なくこの職場をクビになります。
私は本当にいつ死んでもいいのです。私は後悔なく自分のやりたいことを十分やりつくしてきました。
特に職場にも仕事にも未練はなく自分の将来がどうなろうがどうでもいいと思っています。

自分がキリスト教を信仰するのもイスラム教を信仰するのも創価学会を信仰するのもエホバの証人を信仰するのも自由なのだ。

もちろん無宗教でも無神論者でもいい。

私は私の個を信頼する。そして、それぞれの個を尊重する。私という個が周囲に同調する必要はないし、周囲も私に同調する必要はない。

同性愛なら同性愛でいっこうに構わない。セックスが嫌いなら嫌いで全然構わない。自分の人生を大事にすること。

自分の人生を大事に生きていれば人生は充実してくる。私は心からそう思う。