人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

スケベな街に生まれて

周りを見渡せばスケベな輩が多いが実は我々はスケベだからこそ生きているのである。

悲しいが現実なのだ。

スケベな気持ちが微塵もなければその人は自分の遺伝子を残さずに死んでいく可能性が高い。

そうするとスケベでない人の遺伝子は淘汰されスケベ遺伝子は増えていく。

てなわけで世の中はスケベ野郎で溢れかえるわけだ。

それと空気を読んで周りに合わせる遺伝子も生き残りやすい。
特に村社会的な要素が強い日本では空気を読んで周りに同調したものが生き残ってきた。

今の新型コロナの報道や周りの反応を見れば一目瞭然である。
みんな空気を読んでその通りに行動している。

マスクをつけていれば安心だとか人混みは避けようとかイベントは中止しようとか学校は休校にしようとかほとんどは自分の頭で考えずただ世間の空気の通りに動いているのだ。

私はこういう人達をスケベちゃんと呼んでいる。
なんとかして生き伸びてやろうとする気が満々だからだ。

そんな奴はスケベ野郎以外の何者でもないのである。
私のように堂々と世間の真逆を意見できる人はいったいどのくらいいるのだろう?

少なくともyou tuberやブログでほとんど見かけない。
みんな自分が生き残りたいのだ。

自分の遺伝子を安心して残したいのだ。
ただ不思議なことにまだ仕事を積極的に休もうとか仕事自体を自粛してしまおうとかの空気はない。

学校やイベントは自粛するが、仕事を休むと迷惑がかかるという空気感ははっきりと残っているのだ。

これまたスケベな状態である。
無駄に体育会系な空気を残しているのだ。

キーワードは迷惑をかけるなという言葉である。

迷惑をかけるなという言葉を言う奴がどれだけ迷惑なのか当人が1ミリも気づいていない点がまた最高に迷惑なのだ。

自分もあなたも迷惑な存在なのだ。
自分が他人に迷惑をかけていないという思い込みを捨てることだ。

相手の迷惑が気になるなら家の中にいればいい。
家の中にいたくないなら迷惑を受け入れるしかない。

自分だって相手からしたら同じように迷惑である可能性が高い。

スケベちゃんにはなってはならない。
そういうこの私も最高にスケベで迷惑な野郎だ。
しかし、スケベであること周りに迷惑をかけていることを誇りに思うべきである。

生きるってそういうことだ。