全国、全世界でやたらにme too 運動が活発だ。
ここで言うme too運動とは、セクハラとかパワハラの告発運動ではない。
『家にこもれ』
という大合唱のことである。
この『家にこもれ』という大合唱はなぜか他人にベクトルが向けられる。
ウイルス拡散予防に自分が自宅にこもろうというのは全くもって素晴らしいことだ。
是非ともそうしていただきたい。
しかし、なぜか他人に対して『家にこもれ』という声を出す人ばかりなのだ。
そして、そういう人に限って必ず全員外出を自粛していたり、ロックダウンされている地域からだったりする。
つまり、これだけ自分が我慢して外に出ないようにウイルスを拡散しないように気を付けているのにお前ら勝手に外に出て楽しい思いしやがってこの野郎!!という心の叫びなのだ。
これは、言っている当人ですら気付かない。
家にこもっている当人は本人ですら気付かないほど凄いフラストレーションを抱えている。
その爆発しそうなフラストレーションを自分だけが我慢していることに彼らは耐えられない。
どうにかして他人にも同じ苦しみを味わせたいと思っている。
この気持ちは本能的なものなのだ。
だから、ついつい正義面して『お前ら(俺と同じように)家にこもってろ』と叫んでしまうのである。
この世界はやはり歪んでいる。各自がやりたいことをやりたいようにできるのが理想の世界なのだ。
今が耐え時などと誰が決めたのだろう?
『欲しがりません、勝つまでは』という太平洋戦争中の標語じゃあるまいし。
私はできるだけ人生を我慢しないようにストレスをためないように生きている。
それは文字通り、自分がいつ死ぬかわからないし、いつ死んでもいいと心から思っているからだ。。
今を耐え忍んだ先に未来が待っているのではなく、今こそがこの世のすべてなのだ。
私達は今しか経験できない。今しか感じることができない。
今生まれ、今感じ、今死んでいくのだ。ただひたすらに今が地平線のように続いているだけである。
思えば私が大学生のころ、合コンに呼ばれている友達に物凄く嫉妬したものだった。
私は合コンなど一度も呼ばれたことがなく、良い思いをしたことがなかったので、友達が合コンに行ってかわいい子をお持ち帰りしたなどという話を聞いたらそれこそ
『お前は家にこもってろーーーーー』と叫びたくなった。
人間とはそういう生き物なのだ。自分だけが不当に我慢したり、窮屈なことをすることに耐えられないのだ。
自分が友達や彼女と会ったり、合コンに行ったりするのを我慢しているのに渋谷のバーで楽しそうに合コンを開いている若者を見ればそれは嫉妬して注意したくなる。
結局はそんなもんだ。
だから、私は『家にこもってろ』と他人を戒める大人の気持ちが非常によくわかる。
大学生のころからボッチライフを満喫してきたおかげで散々惨めな哀しい思いをしてきたからよくわかる。
しかし、やはりどんなに思っても口に出したら負けかなという気もする。
嫉妬ほど醜い感情はない。死ぬほど嫉妬してきた哀しい独身男を耐え忍んできた身として最後の理性を振りしぼって言いたいのだ。
他人を戒めるのはやめようぜ。
他人が何をしようと自由だよ。
それはあんたには関係ないこと。
他人を戒めようと頑張るほど自分が苦しく哀しく切なく虚しくなっていくよ。
どうせなら他人はみないで自分のことだけに集中しようよ。
それができないなら自分も外に出ようよ。
別にいいじゃんそれで。
何が答えかなんてわからないじゃん。
自分が幸せに生きることが先だと思うけどなあ。
ってなわけでさよなら。