人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

コロナ大不況が迫りくる

f:id:ericrun:20200331210205p:plain

今日は行きつけの大好きなベトナム料理屋さんでビールを飲みながら美味しいベトナム料理を食べる。
いやーー、美味しかった。最高だった。

お店のオーナーが店に出ていたので最近のコロナ不況の状態について話を聞く。

そのお店は街中ではなく田舎の方にあるので街中での飲食を避けたお客さんが割と多く来て先週まではお客さんの入りが良かったとのこと。

ところが、志村けんさんがコロナ肺炎で亡くなったニュースが駆け巡り今週になったらいよいよお客さんが減ってヤバイ状況だと言っていた。

もう普通に倒産のことは考えていると言っていた。お店が潰れることを当たり前に考えていないと夜も寝られなくなっちゃうので・・と。

今のこの状況はいつまで続くかわからないし、貸す側にとってもメリットが低いので思った以上に銀行や信用金庫、金融公庫がお金を貸し渋っている状態だそうである。

いわゆる企業努力で乗り越えられる状態ではないと断言していた。

そりゃそうだ。あれだけ自粛、ロックダウン、集団感染、クラスター感染、オーバーシュート、家にこもれ、家から出るな、飲食店は危険だぞ、人が集まる場所に行くなとそこかしこから言われまくられれば経営に大打撃があるのは当たり前である。

宿泊業、観光業、イベント業はもちろんなのだがガチで飲食店も大量倒産の危機を迎えているそうだ。

彼が言うにはこのまま行くとコロナ感染による死者よりも(飲食店経営者含めて不況による)大量の自殺者が出る可能性があるとのことだ。

本当にこの問題は深刻であって、いわゆるお金だけで解決できるものでもない。もちろん、お金は大事だが人間の活動の根幹に関わる大問題なのだ。

人間は活動し、それによって評価されて自分の自尊心を満たしながら生きている。

イエス・キリストは「人はパンのみによって生きるのではない」と言った。

お金は確かに大事だが、毎日客が一人もこないお店に出勤して月に100万円もらえる生活は幸せだろうか?ということだ。

人間は社会的な生き物だ。自分が誰の役にも立っていないと考えると哀しくて虚しくて耐えられないのだ。

誰の役にも立たない人生は虚しい。誰かの役に立ちたいと思うのは人間の本能である。

だからこそ、今回のコロナ大不況は本当にヤバイのだ。病気自体よりもはるかにヤバイのだ。

人間の自尊心に大きく関与しているので。

職場で誰かを辞めさせることは簡単である。

その人に仕事を与えないようにするのだ。

出社しても一切仕事をさせない。透明人間のようにさせればその人は精神に異常をきたして辞めていくのである。

出社して周りが忙しい中で自分一人何もやることがなく、誰からも必要とされず、誰からも声をかけられず、片隅で時間が過ぎるのを待つという嫌がらせは最もつらい。

私の父親が職場で干されてそういう思いをしたことがあるらしく、発狂しそうになったと言っていた。

こういう拷問が巷で繰り広げられつつある。

こうした世界を我々が本当に望んでいるのか?コロナで死ぬ前に自殺することを選ぶ人が増えてもいいのか?

フィリピンのようにコロナで死ぬ前にお金も食料も尽きて飢えて死んでしまう人が出そうな状況は健全なのか?

もう一度考える必要がある。