なんだか、ニュースを見ていると首都圏の緊急事態宣言の解除基準が10万人あたり0.5人以下でそれに達することができるかどうか?みたいな報道が繰り返しされている。
この件に関して個人的に非常に違和感を感じる。
そういう基準を作りたくなるのはわかるが、そういう目標を決めて達成することだけが良いことみたいな風潮を作ると偶然にも運悪く感染してしまった人が責められることになってしまう。
誰だって好きで感染しているわけではない。運が悪く感染してしまうことがほとんどだ。
それにそんな細かな基準を作ることで社会が息苦しくなる。第2波、第3波に警戒せよみたいなことも言われてるけど、別にこの世からコロナがなくなるわけじゃないんだから人々がコロナを過剰に気にせずに受け入れていけばいいだけだと思う。
コロナを過剰に恐れて社会をガチガチに縛り、個人の自由や権利が奪われることの方がはるかに危険だ。
私はそうした社会を望まない。
なんでもやりすぎは良くない。人が生きるということは簡単に言えばリスクそのもの、リスクの塊なのだ。
人間は必ず死ぬ。それはいつか誰もわからない。コロナでも死ぬがコロナ以外でも当たり前に死ぬ。
完璧な社会を求めてはいけないし、それを人々に強制してはいけない。
人間が生きていればありとあらゆる病気や事故に巻き込まれるリスクがある。
そして、どんな難病も必ず一定の割合で発生するし、障害を持った方やLGBTの方は必ず一定数存在するようになっているのだ。もちろん、難病を持っていたり、障害やLGBTの方を責めたり、貶めたり、下に見たりする気はゼロである。
私ははっきり言って自分がクズ以下の人間だと思っているが、どんな人間でも生まれた以上は幸福を追求して自由に生きる権利があると思っている。
人間が生きるということは必ず正と負の両側面を常に抱えている。
そして、人間は努力によって負を正に変えていく力は確かにある程度あると思うが、それを追い求めすぎる社会は息苦しく、つらく、哀しく、不自由だ。
今我々が向かっている社会はまさに努力によって感染症を無理やり抑え込もうという社会であり、これはある程度正しく利益も大きいとは思うが少し過剰であると思う。
ある程度気を付けながら自由に生活した方がいい。
車の運転なんかでもある程度力を抜いてリラックスして気楽に運転した方がいい。
絶対に事故を起こさないように力を入れてガチガチに運転するのは逆に良くない。
もっとゆとりを持った社会運営を目指すべきである。たかが数十年しかない短い人生なのだ。宇宙論的な時間軸で見れば人間の人生など点ほどの小さなものである。
あまり考えすぎるな。