人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

デーケンさんが逝く

今日新聞を見ていたら「死の準備教育」の提唱者である上智大学名誉教授であるアルフォンス・デーケンさんが88歳で亡くなったそうである。

アルフォンス・デーケンさん↓
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デーケンさんと言えば私がまだ20歳過ぎくらいの大学生の頃に上智大学隣の聖イグナチオ教会の敷地の中にある講義室みたいなところで講義を聴いたのが思い出深い。

私は上智大学生でもキリスト教徒でもなかったがとにかくあの頃は生きている意味がわからなくてつらくて苦しくて救いを求めて彷徨った結果デーケンさんの講義に行き着いたのだった。

内容的には忘れたがとにかくユーモアがあって日本語も上手で大きな人だなという感じだった。

その講義の後に二次会に行くという話になった時に
カトリックの祈りであるアーメンに掛け合わせて

ラーメン‼️

と大声で言って笑いを取っていた。

私もその二次会に行ったのだが、デーケンさんとは席が離れていたせいもあり話さなかった。

デーケンさんは、現代の死をタブー視する風潮に疑問を感じ、死から生を考える死生学という概念を提唱していた。

死は生の一部であり、隠すべきものではない。
死をオープンにすべきだ、人間は常に死を考えるべきだ、死の教育をすべきだという主張である。

私はこの考え方にいたく惹かれたのだ。

最近ではだいぶ風潮は変わってきたが、人間は死なないためにどうすべきか?死なないためにどう生きるか?について考え過ぎでいるのである。

もっともっと人間は必ずいつかみんな死ぬのだから今日をどう生きるか?について考えるべきである。

私はそう思う。

私が大好きなゆうせい荘↓さんは
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みんな今日から死ぬまでをいかに楽しく生きるかだけを考える「死ぬまで好きなことしかしない教」を提唱している。

ゆうせい荘は人間なんて宇宙的な視点で見ればホントにちっぽけなゴミみたいな存在であり、いつ誰が死んだところで何も世界は変わらないんだからみんな好きなことだけやろうと動画で言っている。

これもある意味「死生学」の概念に近い。

みんな私が死んだら誰かが困ると自己暗示をかけて我慢して生きているがそれは錯覚だ。

実際には自分が死んでも世の中は何の問題もなくまわる。

なぜなら人間なんてしょせんちっぽけな存在だから。

しれっと誰かが誰かの穴埋めをするかもしれないがその程度。

今まで数え切れないほどの人間が生まれては死んでいった。

どんなに準備をしても120年以上生きた人はほとんどいないし、これからもそうだろう。

デーケンさんはいつも死を身近に感じ、考えていたから楽にあの世に旅立つことができただろう。

みんな今日だけを生きたらどれだけ幸せだろう。
明日のことを変に考えたり余計な心配をしたりするからコロナにかからないように自粛したり、かかった人を差別したりするのだ。

どうせこの命が今日で終わるならコロナの心配をしている暇などないと私は思う。