人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

奇跡の復活

皆さまこんにちは。

5日前の記事で「明日死ぬ」と宣言し、結局死にたくなくなって奇跡の復活を遂げた

死ぬ死ぬ詐欺師の普通の人と申します。

死ぬってだるいですよね。

明日死ぬって決めても案外死ねないもんですよ。

だって痛いことや苦しいことをわざわざしたくないですもん。

それに私には欲がありますから。

どういう欲かというと再び海外に行って美しい海で泳ぎたいだったり、気持ちいいマッサージを受けたいだったり、波音を聞きながらビーチパラソルでうたた寝したいだったり、海外のバーでうまいもの食べながら美味しいビールを飲みたいだったりだとかです。

不思議なことに私はお金には欲がないのでいくら欲しいとか全然思わないんですよ。

お金が好きな人って世の中にたくさんいますけど私は全然お金が好きなタイプではない。

なんとしてもお金をかき集めたいとは全く思わない。

だから、お金は別にどーでもいい。テキトーでいい。

それから私は女に対する欲求も低い。
いい女とやりたいとか彼女をゲットしたいとか別に思わない。

そもそもそういうのが面倒臭いので一人でいられるのが楽しい。

だから異性への欲求は低い。
性欲は普通にありますが、強い方ではない。

ここもオッケー。

そしてたくさん友達が欲しいと思うタイプではない。
むしろホントに気の合う人が数人いてくれたら満足するタイプ。

友達たくさんいたら付き合いに疲れるし。

そして仕事への情熱も低い。
仕事で成功したいとか思わない。
仕事はほどほどにしてプライベートに時間を割きたいと思うタイプ。

仕事ってどう考えても暇つぶしにしか感じない。
仕事にのめり込んでいる人ほど真理が見えなくなっていて瑣末にこだわって自分を見失なっている感じがする。

だから仕事もどーでもいい。

そして私はいわゆる幸せな家庭とかに全然興味がない。
幼少期に恵まれた家庭に生まれて十分に両親や親戚から愛を受けてそこそこ人並みに裕福に育ってきたので幸せな家庭とは何かを知り尽くしているし、そこへの憧れもない。

幼少期に恵まれなかった人ほど理想的な幸せな家庭を築きたがる傾向がある。

周りを見ても親がシングルの人ほど結婚が早いし。

私は1人暮らしで十分に満ちたりている。

誰かと一緒に住む意味がよくわからない。1人は気楽で楽しいし。

そう考えると別に痛く苦しい思いをして今すぐ死ぬ必要もないかなと思ってとりあえず自殺を取りやめた。

でもやっぱり生きていると凄く虚しくなるし、孤独だし、つらいなあと思う時はある。

生きるって面倒くさい。とにかく自分は自分の身体が好きじゃない。凄く面倒くさい身体に生まれてきてしまって苦労してきた。

私の場合不思議なほど周囲の環境には恵まれたのに恐ろしいほど自分本体である肉体に恵まれなかった気がする。

この逆の人も世の中にはたくさんいるけど、なんだか皮肉なことだなあと思う。

それと両親の愛情に恵まれたからひねくれないということはないから。

家庭環境が良くてもひねくれ者やぐれる人は必ずいるから。

これは遺伝子の問題だから。足が速く生まれついているかそうでないかみたいなものだから。

ってなわけで私はこうして生きている。

いつか死ぬが今現在死なずに生きている。

欲が弱いタイプの私だがとにかく海外に1人旅をしたいという欲は強い。

私は日常生活が嫌いなのだ。

そこに安心感を見出せないタイプの人間なのだ。

非日常的な生活に安心感を見いだしてやっと落ち着くことができるタイプなのだ。

最近のストレス解消方法は仕事帰りに坂道を100キロメートルで駆け上がることである。

会社帰りに長くて比較的きつめの坂道があってそこを加速して登っていくと100キロくらいまで出せるのでそれがたまらなく気持ちいい。

路面には時速50キロと書いてあるがね。

スピードを出すってストレス解消にいいんだなあとわかった。

高速道路もしょっちゅう走るようになったし。
以前は高速道路なんて面倒で全然走らなかったけど。

てなわけで死ぬ死ぬ詐欺をやりながらなんとかこうして生きている。

リストカットで小さなためらい傷を見せつけながら私を見てーって叫んでるような構ってちゃん状態になっているが私は強く生きている。

早くコロナが収まって人々が普通に生活できる世界が来て欲しい。

その為には早く人々がコロナを諦め、受け入れること。
今後数十年、数百年はなんらかの形でコロナが人々を病気にし、死にいたらしめていく。

それはもうわかったことだ。
だから諦め受け入れること。

その上で普通の生活をすること。
人間はいずれ病んで死ぬ運命なのだ。

その一部にコロナが寄与してるだけである。

あー、今日はジムで走るぞ。