人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

私が死に近付いた瞬間

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約9年前に会社を辞めて東南アジアを1ヶ月くらい旅していた時が人生で最も幸せだったかもしれないといつも思う。

その1ヶ月間のうちで5日間くらいバリ島に立ち寄り、バリ島のサヌールビーチで泳いでいた。

サヌールビーチは遠浅のビーチなのでどこまで行けば足が付かなくなるか、深いところまで行ってやろうと思い、ひたすら沖の方まで歩いて行ってみた。

そしたらかなり沖の方まで来て足がつかなくなり、これはヤバイとなり戻ろうと思ったら意外と波が強くて泳いでもなかなか戻れなくて半分溺れるみたいな状態になった。

その時に俺は人生で初めて

『死んじゃうかも?』

と思った。程なくしてどこからともなくライフセーバージェットスキーのお兄ちゃんが来て『大丈夫か?』と聞かれたが私は強がって『大丈夫だ』と笑顔で答えた。

ジェットスキーのお兄ちゃんはそれを聞いて戻っていったが、私はその後も結構バタバタ泳いだがなかなか岸にたどり着かずいよいよヤバいかな?と思いちょっと後悔した。

強がらずにライフセーバーのお兄ちゃんに救出してもらえば良かったと若干思ったが、まあいいかと思い、さらにジタバタ泳いでいたらなんとか足がつくところまで来たので自力で岸に戻った。

私は自力で一命を取りとめた。

しかし、その後時々

『あの時死んどきゃ良かったな』

と思うことがある。コロナ禍の現在は何も希望がなく頻回にそう思う。

9年前のあの東南アジア一人旅している時が人生の絶頂だったと思う。30歳過ぎでまだ若く活気に溢れていてやりたいことをやっていて未来への希望も活力もあった時代だった。

あの絶頂期に死んどけば後悔は何もなかっただろうと思う。

やりたいことを思う存分にやっている時に死ぬって最高に素晴らしい死に方じゃないかと私は思う。

コロナ禍で希望を失って自殺しましたみたいな死に方よりはるかに素晴らしいのではないかとすら思う。

あの旅ではとにかくビーチで毎日泳いで青春をエンジョイしていた。

そんな時代があったことすら今では信じられない。

しかも、ライフセーバーは頼んでもないのに勝手に助けに来ただけなのだし、一応自力で泳いで岸に辿り着いたので状況的には誰にも迷惑をかけていない(と強がれる)。

私が最もキラキラしていた時代は30前後で仕事を辞めては東南アジア放浪をしていた時代ではないか?と思う。

コロナなんて迎える前にとっとと死にたかった。

こんな時代が来ることなんて知りたくなかった。

私は最近いつも思うのだがコロナ前に死んだ人が羨ましい。

不幸にも志半ばでコロナにかかって運が悪く死んでいった人は誰もいないわけだし、コロナ禍前に他の感染症(インフルエンザやノロウイルスなど)にかかって死んでいった人もまあ諦めて死を受け入れることができた時代ではなかっただろうか?

そんな時代に死んでいきたかった。どうせ死ぬなら絶頂期に死んだ方が得だと私は思う。

好きなことを好きなだけやっている時にふとしたきっかけで死んでしまうのなら後悔はないだろう。

私が最も死に近付いた9年前のバリ島サヌールビーチで溺れかけた時はそんな瞬間であった。

しかし、私は死ななかった。

その後も何度か楽しい海外一人旅をしながら、人生に何度も絶望しながら今もこうしてなんとか生きている。

私の人生はこの先どうなるのだろう?

最近はひたすらアルコールに逃げている。

今も自宅でビールを飲んで酔っ払っているし、明後日はまたもや居酒屋で飲むことが決定している。しかも一人で。

そうでもしないとこの現実をやり過ごせないのだ。

将来の為に貯金とかも全くしていない。毎月お金は基本的になるべく残さないように使ってしまっている。

でもそうすることで居酒屋やレストランやホテル業界などを少しながら助けている自負もある。

我々は運命共同体なのだ。こういう時こそ困っている人を助けなければ。それで自分も気持ちよくなるならwin-winじゃないか。

私は正直コロナ禍が始まってから明日に希望を持つことができなくなった。

残念ながらそうした人は世界中にたくさんいる。

希望を失っても人間は生きていける。というか簡単に死ねないから生きていくしかない。

9年前に戻れるなら今すぐに戻りたい。

私自身は変わらないのだからはっきり言ってたいした人生にはならないけど、コロナ禍前の『今』をもっともっと楽しむことはできたかもしれない。

過去は遠い記憶として私の脳の中に甘い記憶として保存されている。

私はこうして生きていく。