人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

テレビとブログはオワコン。新聞も。

最近自分はテレビをほとんど見ない。理由はつまらないし、気持ち悪いからだ。

どの番組をつけても特徴も個性もなく画一的な感覚がする。

テレビの何が気に入らないかって芸能人が出てるからだ。
いわゆるプロがしきって、ガチガチに固められたコンプライアンスと視聴率を取るための争いの中でやっているテレビは個性が出せない。

私は基本的に芸能人があまり好きではない。
理由は意外性がなくつまらないからだ。

プロというのはプロらしく振る舞うものだ。
素人臭さがあったらプロといえない。

それがテレビをつまらなくさせる。
昔からテレビがあまり好きではなかったが拍車がかかり余計に見なくなった。

ということで自分は数年前からyou tubeばかり見ている。
こちらは非常に面白い。

自分の興味あるジャンルから好きに見られる。
素人臭さがあるのもいい。
内容的にも発言的にもテレビに比べてかなり自由だ。

テレビのように内容が画一化、均一化、均質化していないのもいい。
この世界の沼にはまるとテレビなんてアホらしくて全く見ていられなくなる。

とりわけ私にとっては死ぬほどくそどうでもいいコロナのニュースなどをテレビではこれでもかとやるので見る気が失せる。

あんなものに踊らされて自粛して自制して行動制限して隔離して、ロックダウンして、国を鎖国状態にしてとかやって自ら牢屋に入ってるうちに人生終わるよって話だ。

物凄く人生の無駄である。
それとマスクしないと会話してはならない的な馬鹿げた発想を当たり前に押し付けてきやがるのも腹が立つ。

人間の基本的な在り方に反すると思う。
そんなこととっとと全部辞めちまって好きなだけ蔓延すればいい。

かかって重症化した人、死んだ人、残念でしたね。でいーのだ。

どうせみんな数十年もすれば死ぬんだからコロナでちょっとくらい死期が早まるくらいいいでしょ。

むしろコロナが蔓延する中で生き延びた遺伝子だけが結果的に後世に残ればいいのだ。
自然競争原理を適用すればいい。

どうしてもコロナにかかりたくない人、怖い人は完全に自宅にでも引きこもって生活してれば済む話である。

リスクを取るか取らないか自分で選び自己責任で生きればいい。どちらにせよコロナが収まることはまあないだろう。
変異を繰り返してインフルエンザのように長期戦になるのは確実だ。

さて、ブログも完全にオワコンに近づいてる気がしてしょうがない。
ブログで書く内容などyou tubeで動画として出せばはるかに読者、視聴者に早くわかりやすく面白く内容を伝えることができる。

ブログという形態に固執する意味はなくなってきている。
私自身も最近はブログをほぼ読まない。

自分は時々暇潰しと自己顕示欲や承認欲求を満たすために記事を書いているが、他人のものをほとんど読まない。

それなら知りたい内容のyou tube動画を見た方が早いし面白いからだ。

新聞もかなりオワコンになっていると思う。
スマホのネット記事で十分こと足りるからわざわざかさばる紙の新聞を買って読む必要性もなくなっている。

時代は急速に変化している。
私はプロらしさが前面に出ているものがあまり好きではない。

そこには画一化の匂いがプンプンする。
例えばこのブログで書いたコロナ論なんてど素人臭さしかないちゃちな内容だ。

私の本音だが世間的には通らないだろう。
プロ向けな内容で書くなら蔓延防止のためにしっかり外出時や飲食店ではマスクをして飛沫拡散予防に努め、感染者数の増加を抑え、医療崩壊を防ぎましょうとなる。

しかし、そんなことは誰でも言えるいわば当たり前のことだ。だから何?と言いたくなる。
そんな不自由してまで生活するくらいなら死んだ方がマシである。

海外にも自由に出られないし。そもそも人間なんて生き物は数十年という時限タイマー付きの寿命を持った遺伝子というウイルスをそこら中にばら撒かれているようなもんだ。

しかもめちゃくちゃ理不尽な状態や環境を与えられて生きていかねばならない。

人生とは一言で言えば理不尽である。それがしっくりくる。