人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

自分の人生を丸ごと受け入れる

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コメダ珈琲店でアイスコーヒーを飲みながら新作の氷点下ショコラを食べている最中。

昨日から今朝まで色々と考えていたことが一つにまとまってきた。

それは自分を丸ごと受け入れて死に向かっていこうということ。

私は1ヵ月ちょい前についに40を過ぎ誰もが認める完全な中年へと突入した。

それとほぼ同時に私の人生の定義ではもう老後に突入したことを悟った。

老後となれば私に残された仕事は潔ぎ良く人に道を譲って死んでいくこと。

心の底からいつ死んでもいいなあと思っている。❤️😄😂

そこで老後を大成していくために一つの悟りを得た。

それは自分を丸ごと受け入れていこうということ。

私の人生で一つだけ達成できなかったことは自分自身を受け入れることができなかったことだ。

自分自身が嫌いで、自分の身体が嫌でいつもいつもこんなはずじゃない、なんとかしなきゃとあがいていた。

その結果どうにもできず、早く死にたいとなっていた。

しかし、もう老後で文字通り誰からも求められていないし、人生に悔いはないのであとは自分自身を受け入れて死んでいくことを最後の目標にしようと感じている。

ダメな自分を丸ごと受け入れるということだ。

少欲知足で生きていきたい。

中年過ぎても仕事をバリバリやって実力を誇示し、他人の話を聞かず、私が私がと自分を全面に押し出すとある職場の女上司みたいになりたくない。

私にとって彼女は一言で言うと老害である。

私は上昇志向が嫌いだ。
中年過ぎてそんなことをしているのは大変見苦しいと思う。
20代、30代ならそれも一つのカッコいい生き方に見えるが中年になってもそれでは私には見苦しく見える。

中年過ぎたら周りに道を譲ってひっそりと生きるべきである。

老後の目的はなるべく周りに迷惑をかけずにひっそりと死んでいくこと。

人間は死んでいく必要があるから老化していくのだ。
だからもう中年を過ぎたら死ぬ準備をしていつ死んでもいいように少欲知足でミニマリストに近付いていかなければならないだろう。

中年過ぎてあれもほしいこれもほしいなんて情け無いではないか。
それほど期待されていないことを身をもって知るべきだ。

インドのサドゥーのように物を持たずにひっそりと生きるのがかっこいいのだ。

そういうわけで私はこのコロナ禍を利用してどんなダメな自分も受け入れて物や金をできるだけ持たずに少欲知足で生きる努力をしようと思った。

現代人の平均寿命はますます上がり、老後の定義が65歳以上だ、70歳以上だ、いや75歳以上だと言われ、長い老後を過ごすための資産や老後がいくら必要だなどとそんなことばかり世間が騒がしくなっているなか私は真逆の方向に歩み出したい。

そんなものクソ喰らえである。
老後は死ぬためにあるものであって必要なものなど実は何もない。

生まれてくる時に何も持って生まれてこないように死ぬ時にも何も持たずに死んでいくのだ。

そして、私は肉体の老化が誰の目からも明らかになる40歳が老後の始発点であると定義する。

思えば5年ほど前に私の青春は完全に終わったなあと実感した。

それから5年が経つ。
何をしてもときめかない今だからこそ自分を丸ごと受け入れていくチャンスなのである。

これからの人生はどう生きるかではなくどう死ぬかである。
楽しむぞー😄😂