人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

全ては遺伝子で決まる

と私は思う。

私は子供がいないし、結婚する気もないが、これは私の遺伝子がそうさせたと思っている。

一回の射精にて出る精液内に含まれる精子の数は数千万から1億と言われているがその中で卵子に向かって元気に泳いでいく精子は一部である。

同じところをくるくる回っている精子や生きてるのか死んでるのかよくわからない精子や奇形の精子もたくさん含まれる。

これは人間社会でも一緒で種の生存本能に乗っ取って家族や子供を作って子孫繁栄をする人もいれば私みたいに家族や子供を持たずひっそりと1人で生きている人もいる。

精子で言えば私は同じところをくるくる回っていたり、活動性のない駄目な存在だと思う。

これは私が生まれ持った遺伝子の問題だから致し方ないことである。

私はそうした子孫繁栄のための遺伝子的な役割を割り当てられなかったのだ。

ただ生きているだけの存在なのだ。

それは良いとしても私が生まれもった遺伝子で最も厄介なのは異常に太りやすい体質であること。

他人の10倍以上は太りやすい。

これが想像以上に最低且つ最悪でこれまでの人生で多いに私を悩ませ、苦しめてきた。

確かに飢餓に強いというメリットはあるのかもしれないが現代社会においてデメリットしか見当たらない。

ただ、私はギャンブルや女・風俗に興味がないため借金をこさえてまでそれらにはまることがなかったのは少し幸いだったと思う。

それらにハマるのも結局は持って生まれた遺伝子で決まるのだ。

ただ、不思議なのはギャンブル依存の人は割と恋人がいたり、結婚して子供がいたりする場合が多いことだ。

ギャンブルで借金まみれの旦那に泣く妻や子供という構図は世界中いたるところに見られる。

それでもみんななんだかんだと立派に生きている。

我々はお金があって生きていけるのではない。

生きているからお金がついてくるのだ。

だから老後のためにいくら貯めようという発想は必要ない。

生きてりゃ金も食い物も必ずどこかから来る。

だから金を貯めたい人は趣味としてゲーム感覚でそれを楽しめばいいのだ。

というわけで子孫繁栄の役割を担っていない私はもういつ死んでもいいのだがなかなか簡単に死ねなくて困っている。

もう40過ぎたしやるべきことは一通り全てやってきたのであとは死ぬだけである。

何かうまい方法を考えあちらの世界に向けて旅をしなければならないと思っている。