人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

痛くない出費

なんか世間にはやたらと『痛い出費』という世間語が溢れている。

確かにお金がなくなるから痛いと言いたい気持ちはわかる。

しかし、お金を払うことは紛れもなく相手を喜ばせることだ。

私は今日なくしたコンタクト代3万と車のタイヤ交換で3万の計6万を支払った。

世間的に言えば痛い出費である。

しかし、私にとってはありがたい出費だ。

お金が減ることは大変素晴らしいことで喜ばしいことである。

お金は保持するものでなくまわすものである。

今日はめちゃくちゃテンションが高い1日だ。

気候が良く晴れていて気持ち良い。

セロトニンがよく出る。

ヨーロッパなんかマスクを外しまくってるのに日本人は相変らず馬鹿みたいに無駄なマスクしまくり。

私は東京でもほとんどマスクはしていない。

外を歩く時だけでなく電車でノーマスクは大変気持ちいい。

今や私からしたらマスクこそが日本最大の社会問題であり、社会にとって最大の害悪であり、忌み嫌うべきものであり、野蛮なものである。

私にしてみたらマスクをしなくても良い社会こそが最も理想的な社会である。

これくらい強く言い続けても結局日本人はほとんど変わらないことはよくわかっているのだが。

私が野蛮だと思うのはマスク信者がマスクをしない者を排除しようとすることである。

個人の自由という発想は奴らには通じない。

日本はムラ社会だから私がしてるんだからお前もしろという暴力が平気でまかり通る。

そこが🫵社会を生きづらくさせる。

かと言って国民主権党の平塚正幸のようにマスクを外せ運動みたいなことをする気はない。

彼とは議論の次元が違う。

彼のようにマスクを外すべきだと主張するなんてレベルではなくマスクをしないのは当然だと私は考えている。

そんなの当たり前だから議論すら必要ないと考えているのだ。

私にとってはとっくに答えが出ている話であって議論の余地はない。

だからマスクがどうしても必要だというところ以外でさすぐに外すようにしている。

それとマスク脳が支配してる場所では戦わない。

無駄なことでエネルギーを消耗したくない。

日本のリベラル派はなぜマスクの自由を主張しないのかよくわからない。

個人の自由や権利を大切にするのがリベラル派である。

だったらマスクの完全自由化を主張してもいいはずだ。

日本の集団主義ムラ社会は異常に強い。

日本人はすぐに回りを見たがる。

周りに行動を合わせようとする。

私はどんなにコロナが蔓延していると大騒ぎになっていても東京にはよく遊びに行っていたが一度もコロナに感染しなかった。

職場にも一度も迷惑をかけていない。

別にコロナで休んだっていいのだ。

人間の人生なんて守りに入ったら終わりである。

守りに入る時期もあるがそれは結果的にそうなってしまったから一時的に守りに入るだけであって基本的にはリスクを取って攻めるべきなのだ。

私はそう思う。