人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

マスク真理教

いよいよ日本でもマスクの弊害が議論されるようになった。

人々がマスクを外せなくなった頃に。

もう完全に手遅れ。

弊害が出始めた2年前に議論すべきだった。

すでにマスク派がマスクを着けてないで外を歩くのは恥ずかしいと言うようになっているのだ。

もう当人達ですらマスクに感染予防効果などほぼないことを知っている。

しかし、外せなくなってしまったのだ。習慣とはこのくらい恐ろしいものだ。

今の子供達も2年あまりのマスク強制社会でマスクを外せない子が非常に増えているそうだ。

教員も子供達に着ける自由がある以上外してもらうことに非常に苦労しているそうだ。

こんなホラー社会がまさか来るとは。

この件についてマスクを煽りまくったマスコミはどう責任を取るのだろう?

自分はコロナ禍始まって以来ずっとマスク反対派であり、ブログでマスクの害悪を言いつづけてきた。

でもそれ以上に人々が洗脳されて狂ってしまった。

このコロナ禍を通して戦時中になぜ反対派が戦争を止められなかったかがよくわかった。

なるほどと思ったのである。

集団心理や集団洗脳である。

最初は勝つために戦っている。
 
しかし、確実に負けることがわかってきても戦争はやめたくなくってくる。

他のみんなと戦争に参加することに心地良くなってくるのだ。

そんな心地良いことから1人でさっさと抜ける奴はけしからん、みんな必死に戦っているのに、非国民だとなるのである。

心の奥底では負けると知っているのにである。

日本でのコロナ禍はもうほぼ終わったと感じているがこの2年ちょいを振り返ってつくづくそう思う。

これは職場のとある馬鹿上司の心理によく似ている。

効率的だったり有効的だったり合理的だったりする新しいことをしないで今のやり方でやれと。

なぜその昔ながらの馬鹿なやり方にこだわるのかとそれはその馬鹿上司が安心するからである。

そいつの頭の中でもどこか非効率だとわかっていてもそのやり方を続けることだけが努力なのだ、正義なのだと脳内変換してしまっているのである。

これは不安でたまらない揺れ動く心に自信を持たせるためのマインドコントロールである。

山口県フロッピーディスク事件も同じである。

今までフロッピーディスクでうまくいっていたから今後もそれで良いと慢心していたのだ。

最近の若い子はフロッピーディスクなんか使うわけないんだからそりゃ新入社員の子もミスるよな。

スマホ入金なら逆に間違えなかったような気がするのは俺だけじゃないと思う。

とにかく集団心理って怖い。マインドコントロールって怖い。

着けてるのが安心になると怖くて外せなくなる人が必ずいる。

職場の頭が固い馬鹿上司もそう。

今までの成功体験に慢心し、あぐらをかいて新しい成功体験を得ようとしない。

ようは自分を否定されているようで怖いのである。

今まで通りマスクをしているのが安心、今まで通りのやり方をしているのが安心。

他のやり方は怖くてできない。そしていつのまにか他のやり方をして成長した他人や他国に圧倒的な差をつけられる。

フロッピー事件のようなことが起こる。

こうなることがなんとなく見えていたから私は猛烈にマスク社会を嫌悪していたのだ。

日本の戦後の復興はいつ来るのか?コロナ戦争からの復興はいつ終わるのか?深い闇である。