人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

バランス感覚

バランス感覚のない人、バランス感覚を欠いた組織の中で自分自身がどう振る舞うか、組織改善につなげていくのか?

これは私にとって本当に大問題である。

日々日本の職場で組織の中で仕事をしていると本当に涙が出るほどバランス感覚が欠如した人間に会い、そういう人がなぜか上に立っていたりして辟易する。

これは日本社会に限らずどこの国でも色々なパターンで見受けられる現象だ。

北朝鮮のトップを見てみればわかる通り。

まあそこは置いておいて身の回りの現象を見てみるだけでそうした事例が山のように出てくる。

世の中には道理がわかる人が1,000人、わからない人が1,000人、どっちでもない人が8,000人と美輪明宏さんは言っていた。

つまり一万人あたりのざっくりとした内訳の話である。

中世ヨーロッパでは当たり前のように魔女狩りが行われ、魔女と疑われた女は火炙りの刑に処された。

道理のわかる1,000人は泣きながら苦しみながら火炙りの刑に処される女を黙って見送っていたことだろう。

道理のわからない、バランス感覚の欠如したその他9,000人はまあそんなものだと思いながら見送ったことだろう。

その後何百年間かけて、道理のわかる1,000人が自身のバランス感覚を頼りに人権や自由を拡大し、法整備を進めて今に至っている。

さて現代日本においての大問題は法整備化されていない微妙な問題や行き過ぎた法整備であったりする。

バランス感覚が生まれつき備わっていない人間が下手に上に立ち、権力を持つとまあ全てが行き過ぎた過剰な社会や組織になる。

自身を省みず、他人の欠点や短所をあげつらい細部にこだわり過ぎて全体が見えなくなる。

道理の見える1,000人が気に入らず冷遇し、道理の見えない8,000人を見方につけてやりたい放題やることになる。

これが日本のマスク問題、過剰なコロナ対策含めてまあありとあらゆるところで横行している。

大問題なのは彼らが自身のバランス感覚の欠如に1ミリも気付けておらず、反省もしないことなのである。

むしろ彼らは社会の為に良い事をなしているとでも思っているのだ。

変な正義感、バランスの欠如した正義感を盾にして。

ジャズのリズムと同じでわかる人からしたら一発でどこがどうずれているかわかるし、指摘可能な問題なのだ。

ジャズのプロ達からしたらアマチュアの甘いリズム感や音程など一目瞭然である。

物事というのは全て平衡感覚が重要なのである。

自分の砂場の山ばかり綺麗に整備して同じものを他人に押し付けても意味がない。

人権はそのような概念を基に発展してきた。

道理のわかる1,000人からすれば道理のわからない8,000人や対局にいるバランス感覚の欠如した道理を振りかざす1,000人の道理など一瞬でわかるし、見抜けるものなのである。

こちらはそんなに馬鹿じゃない。

って言うかこっちはそんなに馬鹿みたいに自分の半径1メートルの砂場の山だけ綺麗にすることなどにこだわっていない。

空気も完全に読める。空気を読んだ行動など秒でできる。

このブログだって別に道理の読めない8,000人向けに記事を書く事だって簡単にできるし、空気を読んだ慎重で平たく平らな文章だって書ける。

ジャズミュージシャンが表拍からでも裏拍からでもCのキーでもF♯のキーでも自由に演奏をスタートでき、アドリブができるように。

なんだけど、やはり一方に非常に偏っているのを見かけると私は許せなくなる。

ストレートにそれは間違っていると言いたくなる。

間違っているというかバランスが欠如して片方に非常に寄っているから反対側に荷重をかけろと言いたくなる。

それが道理が見えるということなのだ。

私が中世にいて、権力を持っていたとしたら、馬鹿な8割の人達が作った社会の常識や通念上、魔女裁判をすぐにやめさせられないから一旦形だけ魔女疑いの女を拘束してすぐに無罪放免にすることを繰り返したと思う。

そうやってバランスを取るしか方法がなかったんじゃないかと思う。

組織の中で働いているとまあ偏った馬鹿というか綺麗な自分の砂場だけ作って安心している自閉的な上の立場の人達が言うずれた言葉や態度を一応受け入れる振りはする。

これは組織の平衡感覚を保つ上で必要やむを得ないことだ。

しかし、本当はバランスのズレ、音程のズレをズバリと指摘して改善してやりたいといつも思っている。

道理の見える1割にはわかっているがよくわからない多数派はまあこんなもんだろうとなあなあになる。

まあ仕方ないことだろう。

世の中ってそういうものだから。