日本人ってやたらに他人に迷惑をかけないように、他人を不快にさせないようにと頑張っている気がする。
その割にはめちゃくちゃ無神経だったり、失礼だったり、迷惑だったりする。
と私は思っている。
全てやり過ぎなんだよ。潔癖症なんだよ。依存症なんだよ。不安神経症なんだよ。
などと
時々怒鳴り散らしてやりたくなる。
まずマスク。
これほど無神経かつ失礼かつ迷惑な物はない。
私からしたら。
他人を不快にさせない為にとか他人にうつさない為にとか感染予防の為にしている前提だ。
私からしたらマスクしている人は大変に不快なのだ。
自分がするのも不快だが、他人がしているのを見るのも不快である。
多様な人間の多様な個性を一刀両断に切り捨てて、勝手にマスクの着用が他人の為だとか言うのはお願いだからやめてほしい。
どこぞの他人がそう思う、思わないは別にして今ここにいるこの私が不快なのである。
そこを切り捨てるのは明らかなエゴである。
多様性を認める意志があるのであれば、あくまでも完全に任意とすれば良いだけの話。
他者から半強制的な「着用推奨」をされるのはただただ不快極まりない。
もしも自分がどうしてもマスク着用をしないと不安だったり、感染が怖かったりするのならマスクを二重、三重にでもすれば良いし、外を出歩かなければいいだけという話。
自動車の運転が怖くて車に乗りたくないなら運転しなければ良いし、事故が怖ければ外を歩かなければ良いのと一緒である。
なぜ、我々のような健康的な少数派が不安神経症患者の作った変なルールに無理矢理従わなければいけないのだ。
我々は互いに平等、対等なはずである。
何かをする事で問題が解決するなどということは絶対にない。
何をしたってウイルスは地球上からなくならないし、人間は病気になるし、必ず寿命がきて死ぬというだけの話。
潔癖症は必ず寿命を縮める。
身体を鍛える為に様々なファクターを体内に取り入れるべき。
店の前に感染症対策の為にマスク着用をお願いしますというポスターを見るといつも物凄く失礼な印象を受ける。
全ての店舗においてこれらのポスターの書き方を人間の多様性に配慮して下記のように変えるべきである。
マスク着用に強く不快感を持たれていたり、持病等があって着用が困難な方以外の着用を推奨致します。
こう書いてあれば我々も少しは納得できる。
しかし、こういう但し書きは全くどこでも見たことがない。
全員漏れなくマスクを着けて当たり前だと言わんばかりの推奨ぶりなのだ。
その自信はどこから来るのだろう?
我々は犬でもロボットでもない、多様な個性を持ったそれぞれの人間なのだ。
人間という生き物の中には同性愛も異性愛もいるし、まあ数えきれないほど様々な病気やバックグラウンドを持って生きているのである。
多数派がAという食べ物や飲み物が大好きであっても一部の少数派はアレルギーを起こしたり、大嫌いでどうしても食べられない場合がある。
当たり前のことだ。
もしもマスクをしていない客が不安であるなら、そういう場所に最初から来なければ良いだけの話。
自分で選べる。
マスク着用の有無は完全に個人の自由意思による権利である。
個々人が人肉以外は基本的に何を食べても良いように、個々人が完全に自己にて判断して決めるべきことである。
日本人はこうした人権感覚を持っていない人が多い。
自分や周りの多数派がそう思っていても真逆の意見に立つ人達は必ずいる。
そちらに配慮しているか考えるベきである。
本当に世間語というものはとてつもなく汚く、悪質で、悪意があり、薄汚く、偏った偏見のもとに作られたものだ。
私は世間語も自在に喋れるがその表面に浮かんだ悪意をいつもヒシヒシと感じている。
世間語会話にろくなものはない。
多数派が少数派を切り捨てる為だけに存在しているのが世間語である。
とにかく相手にとって不快なことを無理矢理押しつけるのはやめよう。
あなたがそうしたければそうすればいいだけの話であって、私もそうしなければならない理由は何一つないのだから。
それを世間語の力を借りて弾圧するのは醜いから止めようということである。
どーせ、他人は変えられないのだから。
私も絶対に死ぬまでマスクは嫌いなままである。
そういう人間が世の中には一定の割合で多数いることを理解し、正しく怯えよう。
人間はそんなに甘くない‼️