人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

おいおい旦那

職場で何年経っても全然仕事ができないババアがいる。

まあ、仕事ができないのは致し方ないのだけれどできない癖に態度がでかくて強気で偉そうだから好かれない。

わたしはその人が本質的に発達障害を持っていることを確信している。

一つは自閉症スペクトラム症候群。

こだわりが凄く強くて柔軟性のある対応や思考ができない。

緊急事態やいつもと違った事態になるとそのババアは毎回パニックになり、かなきり声をあげてバタバタする。

多くの日本人は自閉症スペクトラムの傾向がある。
柔軟性がない。

場に応じた柔軟な変化ができず、意固地になって今までの刷り込まれたやり方に固執する。

いつまでもダラダラと続くマスク社会を見れば一目瞭然だ。

これは日本人に柔軟性がないからである。
1つのありふれた強いこだわりと不安神経症の性質が曝露されているのだ。

しかし、このババアはそのレベルじゃない。
本当にちょっとでも思い通りに行かなかったり、いつもと違ったりすると発狂するのだ。

このレベルまで行くと、確実に自閉症スペクトラムの診断がくだるレベルになる.

そして、2つ目に彼女が疑われるのはADHD注意欠陥多動性障害である。

これも見事なほどあてはまる。

彼女はいつもめちゃくちゃに多動だ。ワーワー言いながら動き回っている。

8割は無駄な動きなのだが、とにかく動かないと落ち着いていられないレベルで落ち着かない。

そのくせ、物凄く仕事が乱雑で注意不足だったりするからタチが悪い。

ADHDには衝動性優位型、多動性優位型、注意欠陥優位型の3つがあるが彼女は特に衝動的な言葉や態度や行動、多動が激しく、注意欠陥も混ざる感じである。

ADHDの人は世の中に結構多くて、仕事が雑でサボり癖はあるが、意外と他人に対しておおらかでコミュ力が高い人が多い。

しかし、彼女がタチが悪いのはADHD自閉症スペクトラム併発型で、少しでも予期せぬ出来事があるとパニックになり、発狂したり、他人に怒ったりすることである。 

通常はどちらか片一方の性質が強い。

仕事が雑で多動だけど割とコミュ力が高くて、柔軟性があるADHD優位型がいる。

一方でやたらにコミュ力がなくて暗くて陰キャラだが、割と決められた仕事はしっかりやってくれたり、仕事は全然できないけどどこか憎めない感じの自閉タイプだったりする。

もちろんどうにも手の付けられないADHD自閉症もいる。

しかし、この両方の発達障害が合わさると結構悲惨な状況になる。

こだわりが強くてすぐに発狂して怒り、やたらにむだに動き回って周りを掻き乱し、仕事が雑なため周りがフォローしまくるという感じになる。

このババアを見ていて思うのは現状維持は停滞なんだということ。

彼女なりに一生懸命バタバタ動いて仕事を頑張っているのだが、必死にやってなんとか現状維持をしている感じである。

新しいことは全くてきず、向上心かない。

自閉症的なこだわりがそれを妨げている。

何年経っても面倒くさい仕事や少し難しい仕事になると全然できないし、覚えられないし、周りに放り投げる。
 
今までの力量でなんとかこなせるレベルの誰もができて当たり前な仕事だけやり続ける。

近年の社会の変化は早く、色々なスキルが必要とされる時代になっているから、このような人材というのは使えない人材として周囲に疎まれことになる。

そして、なんとか異動してもらえないか周りが画策するようになっていく。

哀しい現実である。

そうした現状を見ると必死に現状維持をしているだけの人間は近い将来必ず沈没していくことになるのがわかる。

自分から能動的にアンテナを張って色々な仕事を覚えたり、人が嫌がる仕事をやって責任をとって経験値を高めたり、新たなことに挑戦する必要がある。

それを少しずつ毎日やることがいわゆる現状維持になる。

進化と変化が現状維持であり、現状維持の為の努力は沈没であり、不要なものとなる。

全ては先を見通してバランスを取ることだ。

いわゆる仕事ができないキャラとして許されるレベルになるにはやはり人間性が必要だ。

コミュ力が高くて周りに優しい人は仕事ができなくても重宝される。

どちらを目指すかだ。

どちらの努力もできなければ確実に職場ではいらない人材となり、遠くない将来に追い出されるだろう。

さて、ADHD自閉症スペクトラムというのは濃度の問題であって誰もがどちらかの濃度が濃かったり、薄かったりするものである。

いわゆる濃度が平均よりもかなり濃いと医者から認定されるレベルになる。

人間というのは多様な生き物であって様々なパーソナリティを持って生活している。

明らかに仕事に支障が出るレベルになると発達障害は疑われる。

どちらの濃度が濃くてもそれを他の力で補うことができていれば周囲は認めてくれるものだ。

仕事ができなければ、パーソナリティで補い、パーソナリティで補えない人は仕事をしっかりとする。

どちらもダメな人は職場という戦場には必要とされない。

そこら辺を彼女がどの程度理解し、行動変化できるかは彼女の努力にかかっている。