人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生は結局険しい山道だ。

という遺言を残してそろそろ死のうと思う。笑

誰にとっても人生は楽なものじゃない。

人生にショートカットはない。

ショートカットしようとして仮にうまくいった場合、そのツケは必ず後から回ってくる。

かと言って無理する必要も全然ない。

自然体で行動する。楽しみながらするのが1番良い。

言語学習に取り組むといかに大変かがよくわかる。

膨大な量の暗記、発声の訓練、リスニングの強化などやらなければいけないことが山積みだ。

しかし、どんなに繰り返しトレーニングしても他言語の言葉はすぐに忘れてしまう。

だから何度も何度も繰り返して徐々に身体に染み込ませるしかない。

言語学習にショートカットは絶対ない。

地道に一歩一歩進むしかない。

これは楽器の練習にも当てはまる。

楽器をそれなりに操るということは物凄く努力が必要だ。

ただ、一度習得すると完全にやめたとしても数年は覚えている。

サックスの運指なども1番下の低いB♭の運指から1番高いF♯の音までの運指は全て今でも思い出せる。

これは言語と一緒で覚えては忘れを繰り返して身体に馴染ませた結果である。

そもそも音楽によるABCDEFGと言うものが最初は全くわからなかった。

Cがド、そこから徐々に上がっていって最高音がB。

C、C♯、D、D♯、E、F、F♯、G、G♯、A、A♯、Bという 12音があることも知らなかった。

音楽は苦手だったので学校時代は全く勉強したことがなかったから。

とにかく練習していくと徐々に何がどの音かわかるようになってくるものである。

今は楽器をやっていないがFはソ、A♯はラの♯であり、シの♭でもあることが瞬間的にわかる。

楽器や音楽初心者はこれすら苦戦するレベルたろう。

言語学習においても音楽のような地道なトレーニングをひたすら繰り返す必要がある。

これは言い換えれば山登りだ。

ひたすらきつい山登りをしていくしかない。

例えば中国語であれば漢字や漢熟語の読みとピンイン記号をひたすら丸暗記して、それを頭の中に思い出す。

そうしないと必ずピンイン音を間違える。

ピンインとは中国語の発音と四声の上がり下がりを表記したものだ。

例えば中国語には日本語で『マー』と表記される単語に4つの意味がある。

第一声の高めに平らに読むマーはお母さんと言う意味、第二声の下から上に上がるマーは辛いという意味、第三声の下がって上がるマーは馬という意味、第四声の上から下に下がるマーは罵るという意味。

それぞれにあてはまる漢字が違うので瞬間的に漢字とピンイン記号を思い浮かべないといけない。

もちろん頭に叩き込んだあとはいちいち浮かべなくてもスラスラ出てくるのかもしれないが、最初は楽器練習の要領でDの運指はこれ、一オクターブ上のF♯の運指はこれみたいな感じで覚えていく必要がある。

これがひたすら山登りなのだ。

このような同音異義語が中国語やベトナム語タイ語のような声調がある言語には無数にあるのだから大変だ。

最初は『私は日本人です』という簡単な中国語ですら、まともに発音できない。

我是日本人(ウォーシーリーベンレン)

漢字表記をするとこの五文字だがこれが難しい。

まず我のウォは第三声の下がって上がるパターン、是のシーは第四声の上から下に下がるパターン、日のリーは第四声、本のベンは第三声、人のレンは下から上に上がる第2声。

そして発音。

特に是のシーと日のリーの発音がめちゃくちゃ難しい。

普通に棒読みすると確実に間違うからトレーニングが必要だ。

たった5音の漢字を覚えるだけで非常に大変なのだ。

これがタイ語になると五声になる。

中国語の四声に上がって下がるパターンが追加されて混乱する。

もちろんタイ文字は全然わからないからひたすら発音と声調を聞いて覚えていくしかない。

ベトナム語になると六声になってまた全然違う声調が出てくるから大混乱になる。

タイやベトナムは中国と隣り合っているから似た言葉も多い。

しかし、声調が違うのでこれまた混乱する。

中国語の馬(マー)は第三声、タイ語の馬はマーだが、中国語の第二声だから下から上に上がるパターンになる。

逆に中国語の第三声のマーをタイで発音すると犬🐕の意味になってしまう。

中国語の犬は狗(ゴウ)で第三声、下がって上がるパターン。

このように同音異義語がたくさんあるので勉強しなければいけない。

また日本と中国で同じ漢字でも意味が同じものと全然違うものがあるので気をつけなければいけない。

例えば愛人。

日本で愛人と書けば配偶者以外の恋人的存在を指すが、中国で愛人と書くと配偶者と同じ意味になる。

まるで逆だ。

勉強という単語も日本では  

文字通り勉強だが、中国語での勉強は無理強いする意味となる。

中国語の勉強は『学習』と書かなければいけない。

読み方も違うし、中国本土は基本的に簡体字という崩した漢字を使っているので表記する漢字も少し違う。

その他に日本語の女優はactorの女優の意味として使われるが中国で女優と書くとAV女優を意味することになる。

例えばある若い女性がいて私は女優になりたいということを中国人に伝えたい場合。

我想当女優(ウォーシャンダンニューヨウ)などと言うと

私はAV女優になりたいです。

と言ってしまうことになり、恥をかく。

純粋な女優になりたいなら中国人には女優(ニューヨウ)ではなく演員(イエンユエン)と言わなければいけない。

このようなことが他にもいくつかある。

山登り以外の何者でもないだろう。