人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

長い戦いは終わりに向かいつつある

今朝私が通っているジムに行ったら、こうした立て看板があった。

ようやく3月13日からはジム利用時のマスク着用が任意になったのだ。

長い戦いだった。

本当に最低最悪だった。

ジム利用時の全く意味のないマスク強制着用は全国各地のほとんど全てのトレーニングジムで当たり前のように行われていた。

今考えると信じられない事態だったと思う。

しかもこの異常事態がちょうど3年間に渡って続いたのだ。

そもそもジム利用時にマスクを鼻までつけてランニングをして誰かが呼吸困難で倒れて死んだら誰が責任を取るのだろう?

建前上は人間の命を守る為にマスク着用が強制されていたはず。

しかし、実際のところは1人の人間の命なんて全くもって軽視されていたのだ。

倒れようが、体調不良になろうがマスクを鼻まで付けろルールが貫徹されていたからである。

許しがたい事実である。

私の通っているジムはマスクキチガイが経営していたようで、とにかくマスク着用にうるさいところであった。

24時間365日利用できる便利なジムなのだが、問題は24時間365日、ジム利用者がしっかり鼻までマスク着用しているかどうか、監視カメラで細かく監視されていたのである。

私はある時、ジム利用中に鼻マスクを10分くらいしていた。
たかが10分である。1時間の利用中の。

そうしたら後日ジムの管理者から電話があり、お客様のジム利用時に鼻マスクの時間がありましたので、今後はしっかり鼻までマスクを覆ってくださいとご親切に連絡いただいたのである。

その時、私はガチでこのジムに槍を持って乗り込んでやろうかと思ったものである。

なんかとんでもない勘違いをしてやがると思ったのだ。

運動中はできるだけ、自由な呼吸ができるように配慮するのは当たり前だ。

私は一言も言葉を発しておらず、奴らが恐れている飛沫とやらをジム利用時に一ミリも飛ばしていないのだから鼻マスクの時間が10分くらいあったところで何の問題もないはずである。

しかし、そういう問題ではないのだ。

その人の体調がどうとか奴らには何の関係もなく、ただひたすらマスクを鼻まで覆うというルールを遵守させることだけが目的なわけだ。

金を払っているのはどちらなんだ?と言いたくなる。

しかし、こうしたことがこの3年間、日本全国津々浦々様々な場所で当たり前のように行われていた。

マスクに正義なんか絶対にない。

これが私がこの3年間に到達した結論だ。

マスクは着けたい人だけが勝手に好きな時に着ければ良いだけであって、他人に強制したり、推奨したりする権利は一ミリもない。

仮にそれがあるのならば、他人のマスクを強制的に外させたり、外すよう推奨したりする権利も認められなければおかしい。

私はマスクが死ぬほど大嫌いなので、もちろん自分はしないし、できれば他人もしないでほしいと強く思っている。

マスク姿を見ているだけで私は不快だから。

そしてマスクを外して堂々と大衆の前で咳なりくしゃみなり自由にしてほしい。

何の問題もない。というか私はそういう人とだけ関わりたい。

それが問題だと思う人だけがマスクを勝手にすればいい。

宗教が違うだけだからだ。

そもそもこの3年間を見たらわかる通り、これほど大多数がマスクをしまくっても結局、ほとんどの人が感染したのである。

日本も中国も然り。

意味がなかったとしか言えない。

気休めに貼る湿布のようなものであって精神的に少しほっとするくらいの作用だろう。

さすがに国際社会の状況から見て、日本のこの異常なまでのマスク着用率やマスク信仰は危ないと政府が判断してこのように緩和の動きが出てきたのであろう。

異常なまでのマスク社会による不利益の方が大きくなってきたからである。

一方に偏ることがいかに危険かよくわかっただろう。

バランス感覚が悪すぎるのだ、日本人は。

そして、自分達がどれほど一方に偏っているかすらムラ社会の中で気付けなくなってしまっているのだ。

絶えず自分達の社会がどちらかに偏っていないか見渡して修正していく必要がある。

全員が一方に殺到すると韓国ソウルの圧死事故のようにみんなで沈没する結果になる。

大多数が取っている行動とは逆をやってバランスを取る。

これが最終的には社会を守るということになる。