人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

最高過ぎて何にも言えないよ

はい、てなわけでまず昨日起きた最悪な出来事から。

昨日の日中コメダ珈琲に行ったのだが急に便をしたくなりトイレへ。

便器内はトイレットペーパーが詰まっている感じがあり、嫌な予感がよぎったがクソがしたくてたまらずとりあえず出した。

そして水を流したら最悪なことに紙詰まりで逆流。

便器内にウンコ水が溢れかえりあわやもう一歩で大惨事になる寸前までいき焦る。

なんとかギリギリのところで水位上昇は止まり、ほっとした。

しかし、相変わらず便器内はウンコ水が溢れて流れず最低最悪な状態に。

ここで数分考え、とりあえず詰まりを解く為の棒やスッポンみたいなものを探すが見当たらない。

うわぁ最悪。

このまま逃げようかと思った。

しかし、その後トイレに入った客が最悪な気分になり、店員さんを呼び、店員さんも最悪な気分になりながら掃除をする光景が頭に浮かんでいたたまれなくなった。

かと言ってうんこがつまりました、すいません、道具を貸してくださいと言うのもどうにも気がひけた。

下手に言うと私共でやりますなど言われて糞を見られるのも嫌だ。

店員さんも最悪な気分になるし。

そこで閃いた。

素手を便器に突っ込んで紙詰まりを取れば流れるはずだと。

そしてウンコ水の中に素手を突っ込んで紙詰まりを取ったら一瞬で水が流れて一件落着。

あー良かった。

手はウンコ臭くなってしまったが徹底的に石鹸で
洗って誤魔化した。

よくやったと自分を誉めたい。

しかし、最初の嫌な予感はやはり的中していた。

私がウンコをする前から既にトイレは詰まっていたのだ。

俺のせいではない。

しかし、あそこで逃げたら必ず俺のせいになる。

店員さんに恥をかかせるのも嫌だ。

とにかく自己犠牲は大事だと思った。

さて、時間を早送りし昨夜の飲み会の話へ。

友達と半年ぶりに会って居酒屋で3時間半色々な話を徹底的にした。

この居酒屋は我々がいつも行っている大変お気に入りのお店で、美味しい割に価格は良心的で大変居心地が良い場所だ。

平日ということもあり店内はガラガラだったからほぼ貸し切り状態で寛ぐことができた。

職場の同僚や友人のパーソナリティ障害や発達障害の話しなどで共感しまくった。

必ずどこの職場にも困ったちゃんがいるものである。

そういう困ったちゃんの面倒を見るのが大変だと言っていたが完全に同意。

居酒屋で生ビール4杯、ハイボール1杯を飲んでたくさん食べていったんお開きに。

そのまま近くのカラオケに行き1時間30分歌った。

合計5時間近くを2人で過ごしたがまあとにかくこの人とは気が合うのであっという間に時間が過ぎてしまう。

たまにはこういう息抜きも大事だ。

1人の世界にこもりすぎていいことはあまりない。

そして昨夜行ったいきつけの居酒屋の素晴らしいところはなんと言っても店員さんがノーマスクなところ。

これが最強に素晴らしいし、大好きな所以だ。

このお店はコロナ禍においてもずっとノーマスク接客を貫いていて大変感心していた。

超のつくほどマスク嫌いな私からしたら店員さんがマスクを着用しての接客ほど嫌いなものはない。

私はノーマスクの従業員さんがいるというだけでそのお店に通いたくなる。

今後もこのお店を応援し続けようと思った。

日本には今現在

お客様が不安にならないように従業員はマスクを着けて接客させていただきます。

という世間語が溢れかえっているが、毎回反吐が出そうになるほどムカつく。

私はマスク着用しての接客をされると不快だし、不安なので今すぐ外して接客してください

と言ってやりたくなる。

目に見えないその他大勢の客をなんとなく慮った世間語を喋るのではなく、

今目の前にいるこの私 

を見てくれ。この私の思いや感想や意見を聞いてくれ。

と思う。

別に私は構ってちゃんになりたいわけでも、クレーマーになりたいわけでもないから口には出さない。

しかし、一方に思いっきり偏った日本社会はなんなのだと毎回思う。

今回の政府発表マスク着用完全任意の件も結局は完全に任意なわけでは全然なく、従業員は着用継続がほとんどだ。

まあ、最強にむかつくよね。

胸糞の悪い妥協案というか全体主義、村社会、見せかけの善意や正義感に溢れている。

任意つまり自己判断というのは従業員という立場においても適用されるのが当たり前だ。

しかし、経営側が従業員側にマスク着用を実質的に半強制、つまりほぼ強制しているわけだからこれは十分に強要罪が適用しうる。

法律的に絶対何か問題があるはずだから今後色々と戦ってやろうかなと思っている。

任意は任意だ。推奨とは違う。

そして推奨はあくまでも推奨であって義務ではなく、義務的に着用させていたとしたらそれは犯罪行為になり得る。

こんな簡単な論理がいともたやすく無視されていることが腹立たしい。

日本においてマスク着用が法的に義務化されていない以上、いついかなる場面においてもどんなシチュエーションにおいても着用は任意なのだ。

つまり個人の判断に一存されるわけだ。

推奨する自由はあるかもしれないが推奨という名を借りた強制は絶対に許されない。

これは日本国民全員が持つ普遍的な権利である。

信教の自由と同じように全ての人が普遍的に所持しているはず。

とある宗教人Aから見た場合、絶対神はBであってもとある宗教人Bから見たら絶対神はCかもしれず、無神論からしたら絶対神などいないかもしれない。

科学的にどれだけ神についての研究が進んで謎が解明されようとも、信教の自由は十分に保障される。

それと同じことである。

なんでわからないのか。

凄く簡単なことなんだけど。

まあ、いいや。

とにかく酒をたくさん飲んでカラオケして楽しかった。

また次回やりましょうと言って別れた。

そろそろ東京に行きたい。